変革のファシリテイター

数日前からクリスマス休暇/年末休暇を過ごしている。時間に余裕ができたので、山口・湯田温泉の旅を思い出しながら、気になっていた幕末の歴史(1850年あたり)を調べてみた。難しい。本当に難しい。色々ありすぎですね、この時代。。。

諸外国の動向が変化していたとき、時代の主人公たちは皆、国際情勢の変化に気がついていたのでしょう。現代の会社員風に言えば、新しく変えようと意気込む側(少数派)が、大きな組織を運営する側(マジョリティ)にいらだち、かみつき、別会社を立ち上げる。明治維新が現代の企業経営と大きく異なるのは、両者が血まみれの戦いを経て、『次のチャプター(章)』に移っていった点にあるでしょう。『歴史の1ページ』という表現ではカジュアルすぎて、決して収まらないマグニチュードを持っていると思います。

武士による統治の時代 から150年以上経った現代。国際情勢の動向は混とんとしており把握することは非常に困難な状況にあると思われますが、異なる優先順位を持つステークホルダーたちに、同じ方向を向いてもらうこともまた、難しく時間がかかるものだと考えています。新しいルールで縛るというのも、ひとつの現実的なソリューションかもしれませんが、『外出するときは刀を置いてこい』と言われた旧サムライたちの中には、猛反発した方もあったようです。


~歴史は苦手なので、間違ってるところもあるとおもいます~
1840 アヘン戦争(西洋の軍事兵器に日本人はびっくりした)
1851 ジョン・マンジロー氏が沖縄に上陸した(米国で教育を受けた、たぶん初めての日本人)
1853 米国海軍の巨大な船が東京湾/浦賀沖に入ってきた
1854 米国と条約を締結した(将軍の補佐役が中心となって)
1858 五か国と条約を締結(攘夷派の反対論が勢いを増す中)
1859 明治維新で活躍する人材を育てた有名な先生が捕えられ、江戸で処刑されてしまう
1860 条約締結を主導していた人(将軍の補佐役)が、江戸・桜田門で暗殺される
1863 英国人駐在員(1)のサポートを受け、長州の偉い人たち(2)が英国留学に出発
[1] Jardine Matheson Holdings社(今でも残ってる名門企業)
[2] 井上聞多や伊藤博文ら 5名のサムライ・ステューデントは『Chōshū Five』と呼ばれる。
1867 将軍が朝廷に政権を返上 (旧幕府の役割・既得権益は、一部グレーな部分が残ったまま)
1868(明治元年) 薩摩が江戸で暴れ、江戸・薩摩藩邸が襲撃 (旧幕府軍vs 新政府軍の戦争へ)
1877 特権を奪われた士族たちによる反乱 (vs 新しい”維新”政府)
~この後、諸外国との国際交流が活発になる~
1886 イギリス、ビルマを植民地に
1887 フランス、ベトナムを植民地に
1891 ロシア、シベリア鉄道の建設開始(アジア展開のインフラ)

特に日本の場合、異文化と対話し、コンセンサスを形成するのが苦手なのに、契約締結にもっていかれるケースも多いのでは。また、決まったこと・決まりつつあることを、国内の関係機関の中のヒトたち(先生・会社員・役人)に迅速に伝えられているのでしょうか。相手の状況を聞き出す能力、諸外国の状況を知る能力(外国の新聞)などは、日本社会(先生・会社員・役人)にとって、まだまだ大きな課題であると考えています。

現代では、世界中の出来事やトレンドを一か所にまとめ、整理・評価・報告する仕組みが進化を続けているようです。インターネット接続のさらなる高速化・大容量化が期待されていますし、また、量子コンピュータやブロックチェーンなど新しいテクノロジーを活用して、より安全な情報伝達・通信の実現を目指す取り組みもあるようです。

大きな変革を実行する際には、異なるステークホルダー間において、対話をファシリテートする役割を担うものが必要であると考えられます。その担当者には、英語力と共に、諸外国の軍事リテラシーやITリテラシーなどの幅広い教養が求められるでしょう。これまでも、これからも、日本人だけのチーム構成では、限界がありますね。